今日の聖句6月20日(火)\(^o^)/ 窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされないからです。 詩篇102:17 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 ピリピ4:6 ************* 今週のテーマ:信仰に生きる きょうの聖書:2コリント4:16-18 コリント人への手紙第二4章16節17節18節 私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。 「日々新たに」 全ての人生に苦難はつきものであり、苦難のない人生などはあり得ないのですが、クリスチャンの人生には一般の人たちとは違う苦難があります。それはキリストの復活を証言する人生だからです。サタンはキリストの復活を否定し、キリストの復活を証しする人に牙をむいて襲い掛かります。 それは、キリストの復活を証しすると迫害を受けるということです。しかし、パウロも初代教会の聖徒たちも迫害を受けても力を失いませんでした。信じる人の心に宿っている神の御霊が力の源泉になるからです。キリストへの信仰は迫害されればされるほど燃えるのです。 御霊の働きは直接私たちに「みことば」の活発な働きとして現れます。みことばによって励まされ、みことばによって勇気を与えられ、みことばによって愛に満たされます。みことばによってなすべきことを示され、みことばによって生かされます。ですから、困難があって迫害があって落胆することは無いのです。 復活したキリストが御霊となり、復活したキリストがみことばとなって私たちと共にいてくださいますので私たちには不安も恐れもないのです。肉体は衰えても、信仰が衰えることはありません。むしろ日増しに強められていきます。長年の信仰生活の中で与えられる数々の恵みが私たちの信仰の養分になって信仰が強められるのです。 祝福を祈ります。