今日の聖句6月19日(月)\(^o^)/ イスラエルの望みである主よ。あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。・・・いのちの水の泉である主を捨てたからだ。 エレミヤ17:13 わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。 黙示録21:6 ************ 今週のテーマ:信仰に生きる きょうの聖書:使徒2:43-47 使徒の働き2章44節〜47節 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。 「気持ちの共有」 聖霊が降り、教会が生まれて信仰生活が始まりました。神殿での礼拝と家庭ごとに集まっての聖餐式が行われ始めたのです。信仰の実際は、心を一つにして、一切のものを共有するという形で現わされています。信者たちの賛美の声はエルサレムの町にこだまし、民全体から好意を持たれたと言います。 一切のものを共有する共有とは、良いものも共有し、苦しみや困難も共有する共有です。食料や金銭・財産を共有し、祈りの課題を共有します。解決しなければならない問題を共有し、解決の過程を共有し、解決の喜びを共有するという形の共有です。この姿こそ聖霊に導かれている教会のあるべき姿です。 このような共有を基本にするときに、教会には一致と協力が生まれます。共有と一致と協力は力を生み出します。このような形で運営される教会は多くの人の共感があり仲間に加わる人が増えてきます。この逆を行うと教会はバラバラに分解し破壊されてしまいます。それはクリスチャンとしての最大の罪になります。 礼拝の後の食事会は大切です。その席は祝福されたことを分かち合い、困っていることを打ち明けてお互いのために祈る時間になるからです。クリスチャンが集まって会食をすることを世俗的だという人がいますが、それどころではありません。礼拝後の会食は大事な礼拝の一部なのです。教会の中には個人的な自分の気持ちを共有することが必要だということです。 祝福を祈ります。