今日の聖句6月17日(土)\(^o^)/ 神の神、主は語り地を呼び集められる。日の昇るところから沈むところまで。 詩篇50:1 神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。 ルカ17:20-21 ************ 今週のテーマ:神の輝き きょうの聖書:ヨブ40:7-14 ヨブ記40章11節〜14節 あなたの激しい怒りを吐き散らし、すべて高ぶる者を見て、これを低くせよ。すべて高ぶる者を見て、これを押さえ、悪者どもを、その場で踏みにじれ。彼らをともに土のちりの中に隠し、その顔を隠れた所につなぎとめよ。そうすれば、わたしもあなたをたたえて言う。「あなたの右の手は自分を救うことができる」と。 「十字架で輝き」 7節と8節で神様は「自分を義とするため、わたしを不義に定めるのか」と言ってヨブを挑発します。9節から14節では神様がなさっていることでヨブにはできないことが列挙されています。そして神様はヨブに神様と同じことをやってみなさいと言われました。それができるならヨブは神様と肩を並べられるということです。 ヨブは自分の正義を主張するばかりで、神様の被造物世界支配における正義に疑いを持っていました。しかし、この場面に立たされて宇宙の支配者としての神様の地位を知り、同じことはできないことを悟ります。自分が正しくて神様が間違っていると言うことはできても神様と同じ正義は行えないのです。 正義を貫いて世界を治め、愛を貫いて世界を治めている神様です。悪を罰し、謙遜なものに恵み深い神様です。その神様だけが世界を救うことができます。神様はヨブに神様と同じことができるならヨブは自分で自分を救えるだろうとも言われました。 義と愛の二つを同時に満たす手段は人間にはありません。罪を犯した人間を罰し、罪を犯したその人間を赦すということを同時には実行できないのです。しかし、神様は御子イエス・キリストを十字架で処刑することによって、神の義と神の愛を同時に実行されたのです。これこそ究極の神様の知恵であり、十字架にこそ神様の輝きがあるのです。 祝福を祈ります。