今日の聖句6月13日(火)\(^o^)/ どうか今、あなたが語られたように、わが主の大きな力を現してください。 民数記14:17 力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、 ルカ1:49 ************ 今週のテーマ:神の輝き きょうの聖書:出エジプト33:18-23 出エジプト記33章18節〜21節 モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」主は言われた。「わたし自身、わたしのあらゆる良きものをあなたの前に通らせ、主の名であなたの前に宣言する。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」また主は言われた。「見よ、わたしの傍らに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。」 「岩の上に立て」 モーセがシナイ山に登って神様から十戒の石板を授かって下山すると、アロンとイスラエルの民は偶像を祭ってドンチャン騒ぎをしていました。これは大罪で、処罰せずに見過ごされることではありませんでした。モーセはレビ人を用いて大ナタを振るいました。しかし、モーセとイスラエルは神様の臨在を失ってしまったのです。 神様はモーセがとったこの大罪に対する対処を認めて、民全体を滅ぼすということからは赦しましたが、神様はこの出エジプトの旅には同行しないとモーセに告げたのです。それは一大事です。神様がいない出エジプトなどあり得ませんし、たとえカナンへ入ったとしても神様がいないのであれば、そこはエジプトと同じです。 それでモーセは必死に祈り、拒絶する神様に対して食い下がって熱心に祈りました。神様はご自身の正面からのお姿をモーセには見せないが、後ろ姿だけ見せると約束しました。条件は「見よ、わたしの傍らに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て」ということでした。岩とは絶対不動のものという意味があり、それは神様のみことばを指します。 この出来事は、悔い改めて罪を赦され、クリスチャンになった人が罪を犯して神様の恵みを失ってしまった姿に似ています。その人はモーセのようにとことん祈って、神さまとの交わりを回復し、みことば以外の物には頼らず、みことばによってだけ生きるという信仰を再建しなければなりません。そこにだけ魂と信仰のきよめがあるのです。キリストの十字架が私たちをそのきよめに導いてくれます。 祝福を祈ります。