今日の聖句5月25日(木)\(^o^)/ ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。 ミカ5:2 だれもが認めるように、この敬虔の奥義は偉大です。「キリストは肉において現れ、霊において義とされ、御使いたちに見られ、諸国の民の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」 1テモテ3:16 ************* 今週のテーマ:神の招き きょうの聖書:2テモテ1:3-8 テモテへの手紙第二1章6節7節8節 私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。 「力と愛と慎みの霊」 この手紙はパウロが殉教したAD.68年に書かれたものと言われています。テモテはまじめな青年伝道者でしたが、幾分消極的で沈み込む性質だったようです。この時、パウロが福音のために投獄され、死も近いと感じ、悲観して勇気を失っていたようです。 それで、パウロは御霊の恵みと福音の力とパウロ自信の経験を示してテモテを激励しています。キリストの証をすることを恥じず、迫害の真っただ中にあっても迫害される者の側に立ち、福音のために苦しみをしのぶのは、ただ神の力に支えられてできることですが、その力は聖霊によって与えられるのです。 神様が私たちに与えてくださったのは、「臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊」です。力は神様への奉仕の力であり、愛は人に向かう態度の源泉になり、慎みは自分を保つ心がけを与えます。力と慎みは相反する場合があります。一方に偏ると無謀になり、一方に偏ると委縮します。 愛はその中間に会って、この力と慎みを結びつけ、調整します。無謀と委縮の両極端に陥ることを防ぎます。私たちの心に住む聖霊はこの働きをする御霊なので、御霊の火を消すことなく、その火をかき立て、再び燃え立たせてくださいと導いているのです。 祝福を祈ります。