今日の聖句5月7日(日)\(^o^)/ あなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら、水を飲ませよ。 箴言25:21 あなたがたは自分の敵を愛しなさい。彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方の子どもになります。いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。 ルカ 6:35 ************* 今週のテーマ:聖書 きょうの聖書:ヨハネ5:31-40 ヨハネの福音書5章39節 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。 「イエス様と聖書」 きょうの聖書はイエス様が救い主であることの様々な証について述べられていました。聖書とはそもそもイエス様を言い表す書物です。聖書はどこを切ってもイエス様の真っ赤な血が流れると言い放った人もいるそうです。信仰の父アブラハムもエジプトの宰相ヨセフも、ダビデ王もイエス・キリストを予表する型でした。 出エジプトも、バビロンからの帰還も、それぞれ、悪と罪の奴隷になった人が、イエス様によって神様の前に立ち帰ることの予表であり型でした。「聖書は、わたしについて証ししているものです」というみことばは、私たちの聖書に向かう心と目を決定的にイエス様に釘付けます。 みことばを色紙や短冊に書いて壁に掛けたり飾ったりしますが、未信者が神社や寺院の配るお札を拝んだり魔除けにするのとは違います。みことばによって心をイエス様に向けるためです。みことばは私たちと私たちの心をイエス様に向けさせるのです。ディボーションはみことばによってイエス様を見、イエス様を知る礼拝です。 私たちがイエス様を信じて聖書を読むと、聖書のみことばは私たちの心を吟味し、心の中を照らし、罪を指摘し、素直な心で悔い改める思いを起こさせるものです。イエス様を拒否して聖書を読んでも聖書の真の意味を理解することはできないのです。今日の礼拝でもイエス様への賛美と感謝をもって聖書を学んでいきたいと思います。 祝福を祈ります。