今日の聖句4月16日(日)\(^o^)/ われらの神、主をあがめよ。その足台のもとにひれ伏せ。主は聖なる方。 詩篇99:5 彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。 使徒4:31 ************* 今週のテーマ:神の民 きょうの聖書:出エジプト3:13-15 出エジプト記3章13節14節 モーセは神に言った。「今、私がイスラエルの子らのところに行き、『あなたがたの父祖の神が、あなたがたのもとに私を遣わされた』と言えば、彼らは『その名は何か』と私に聞くでしょう。私は彼らに何と答えればよいのでしょうか。」神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」 「神様のお名前」 大飢饉に襲われたヤコブとその家族は第11男ヨセフの計らいでエジプトに非難し、飢餓を乗り越えました。その後、ヤコブの子孫たちはエジプトで奴隷にされてしまい、塗炭の苦し込みを被るようになりました。そのころにはヤコブの子孫たちはヤコブの別名であるイスラエルと呼ばれるようになっていたのです。 神様はモーセにイスラエルをエジプトから連れ出せとお命じになりました。モーセはすぐには承知しませんでした。いくつもの理由を掲げて断り続けたのですが、ここで、エジプトへ行って神様のお命じでイスラエルを連れ出すと言ったら、『その名は何か』と私に聞くでしょうと御名を尋ねました。 それで神様はモーセに「わたしは『わたしはある』という者である」と答えられたのです。『わたしはある』という御名はイエス様が自己紹介するときに使った御名です。一連の「わたしは何々である」という使い方です。例えば「わたしはいのちのパンです」(ヨハネ6:48)などが挙げられます。イエス様がモーセに現れた神様だということです。 イスラエルは神様の御名を知らされて神の民として生きることになったのです。私たちはクリスチャンと呼ばれています。それはキリストの者ということで漢字では基督者と書きます。私たちもキリストの名でよばれるものになったのです。名前は大事です。社会的には私たちは親の姓を引き継ぎます。親の姓もキリストの御名も大事にしていきたいと思います。 祝福を祈ります。