今日の聖句4月8日(土)\(^o^)/ 滅びの穴から泥沼から主は私を引き上げてくださった。私の足を巌に立たせ私の歩みを確かにされた。 詩篇40:2 キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。 1ペテロ3:18 ************ 今週のテーマ:イエスの十字架 きょうの聖書:ヨハネ19:31-42 ヨハネの福音書19章39節〜42節 以前、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを、百リトラほど持ってやって来た。彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料と一緒に亜麻布で巻いた。イエスが十字架につけられた場所には園があり、そこに、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の備え日であり、その墓が近かったので、彼らはそこにイエスを納めた。 「イエス様の埋葬」 イエス様の弟子ではありましたが、ユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフがピラトの許可を得て、イエス様のからだを取り降ろしました。そして、人目を忍んで夜、イエス様と面談したニコデモが没薬とアロエを混ぜたものを30sも持ってきて、イエス様の身体に塗り、亜麻布で巻いて埋葬しました。このおびただしい分量は大金持ちか王者でなければ手に入らない物です。 園にあった新しい墓、刑死した人は、刑死者用の墓に放り込まれるのが普通であり、場合によっては野ざらしにされることもある、という中で、新しい墓、それも園の中にある墓に埋葬されました。こういう墓は王様以外には手の出ないものです。この埋葬の模様はピラトの書いた「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」という罪状書きが示す、「神の国の王」イエス・キリストを物語っています。 この埋葬に使徒たちは登場しません。ユダヤ人たちの目をはばかってキリストの弟子として表に出なかったアリマタヤのヨセフとニコデモによって執り行われました。この二人がイエス様の死を契機として、大胆に誰をもはばかることなく莫大な香料と真新しい墓地を捧げてイエス様を埋葬するものに変えれたのです。 神の御子、イエス・キリストの死は、弱く罪深い私のための身代わりの死だったと気づいた人は、その時点で新しい人に変えられていきます。イエス・キリストの死はそういう力を持っているのです。私たちはイエス様がご自分を犠牲にするほどの大きな愛をもって身代わりの死を遂げて下さったと知るときに、御子キリストのために生きるものに変えられていくのです。 祝福を祈ります。