今日の聖句4月3日(月)\(^o^)/ 私はいつも主を前にしています。 詩篇16:8 信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。 ヘブル12:2 ************* 今週のテーマ:イエスの十字架 きょうの聖書:ヨハネ18:15-18 ヨハネの福音書18章16節17節18節 ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いだったもう一人の弟子が出て来て、門番の女に話し、ペテロを中に入れた。すると、門番をしていた召使いの女がペテロに、「あなたも、あの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは「違う」と言った。しもべたちや下役たちは、寒かったので炭火を起こし、立って暖まっていた。ペテロも彼らと一緒に立って暖まっていた。 「キリストとの関係」 この記事は受難週の木曜日の夕方の出来事です。この日は最後の晩餐があり、イエス様が弟子たちの足を洗い、ゲッセマネの園での祈りがあり、オリーブ山で捕縛されました。そして、イエス様は縛られて大祭司の館に引かれ裁判を受けます。その様子をペテロが門の所で見ていたので弟子のヨハネが庭に招き入れたところです。 召使いの女がペテロに、「あなたも、あの人の弟子ではないでしょうね」と言ったらペテロは「違う」と答えてしまいました。ペテロはイエス様と自分は無関係だと言ってしまったということです。ここに至る前、ペテロはイエス様にどこまでも従うと言っていましたが、イエス様が捕えられてしまうとたちまち保身に落ちてしまったのです。 ペテロはしらばくれて彼らと一緒に立って暖まっていたといいます。キリストに敵対する者たちに交じり、キリストに敵対する言葉を聞き、イエス様が受けている裁判を傍観しているのです。キリストの十字架によるきよめを受ける前の、心の汚れている人の姿がここにあります。自分の信仰を大きな声で吹聴しても実態は惨めなものです。 ペテロはキリストと自分を無関係と言いましたが、私たちはキリスト十字架なしには神様との関係を結ぶことはできません。イエス・キリストの十字架の出来事によって罪を赦された者だけが神の子として神様との関係を結べるのです。十字架体験という言葉があります。イエス・キリストの死は、実は罪びとである自分の死だったと受け止める経験です。これによって私たちとキリストの関係は盤石になるのです。 祝福を祈ります。