今日の聖句4月2日(日)\(^o^)/「棕櫚の主日」 わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。 エレミヤ31:13 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。 マタイ5:4 ************ 今週のテーマ:イエスの十字架 きょうの聖書:ヨハネ18:1-11 ヨハネの福音書18章4節5節6節 イエスはご自分に起ころうとしていることをすべて知っておられたので、進み出て、「だれを捜しているのか」と彼らに言われた。彼らは「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「わたしがそれだ」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒に立っていた。イエスが彼らに「わたしがそれだ」と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れた。 「わたしである」 イエス様はキデロンの谷にある園で深い祈りをした後、オリーブ山に登っていきました。そこへ、イスカリオテ・ユダが祭司長やパリサイ人と兵士たちを連れて現れました。イエス様はご自分が逮捕されると知っていて、「だれを捜しているのか」と声を出しました。 彼らは「ナザレ人イエスを」と答えたところ、イエスが彼らに「わたしがそれだ」と答えたのです。すると、彼らは後ずさりし、地に倒れたのです。「わたしがそれだ」という言葉はモーセが神様に御名を尋ねた時に神様がご自分の御名を明かした時の「わたしはある」と同じです。 この言葉はそれぞれ、口語訳では「わたしが、それである」、新改訳改訂第3版では「それはわたしです」、新共同訳では「わたしである」、英語聖書では「I am he」詳訳聖書「それは私だ」、現代訳「わたしがそうです」と訳されています。イエス様を捕えようとして来た者たちは神様の威厳に恐れて倒れたのです。 この様子は、傍目に見ても、イエス様が逮捕も、拷問も、処刑も全く恐れていないことが分かります。実際に武器に囲まれながら、堂々と世界の救いのために身を投げ出しているイエス様がここにいます。イエス様は圧力に負けて十字架につけられたのではなく、神様の権威のもとで贖いの死を遂げてくださったのです。 祝福を祈ります。