今日の聖句3月26日(日)\(^o^)/ 神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮などなおさらのことです。 1列王記8:27 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。 ヨハネ1:18 ************ 今週のテーマ:信仰による義 きょうの聖書:ローマ6:1-5 ローマ人への手紙6章4節5節 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。 「バプテスマ」 そもそも、イエス様が十字架で死に、三日後によみがえったという事実があります。それは私たちの罪の身代わりとしての死であり、私たちを義人として生かすためのよみがえりでした。このことによって神様は全世界のすべての人の罪を赦し、すべての人を神の子として生きられるようにしてくださったのです。 私たちはキリストの犠牲を「私のためだった」と信じたので、その証のために洗礼を受けました。全身を水につけるということは水没であり、キリストの死は私の死であると認めたということです。水に沈んだということは、私も死にましたということです。 沈んだ後は、水から立ち上がります。水から出た受洗者は神の子として新しく生まれたということを表すのです。キリストが死んでよみがえったように、受洗者は罪びととしての自分は死に、水から上がった受洗者は神の子として新しいいのちに生かされるのです。 これはイエス・キリストを自分の救い主と信じる人に与えられる神様からの恵みです。自分では、罪が赦されているのか、それとも赦されていないのか判断がつかない場合もあります。その判断がつかなくてもキリストを信じている人の罪は赦されており、その人は既に神の子として新しく生まれ変わっているのです。これを信じるところに信仰があるのです。 祝福を祈ります。