今日の聖句3月20日(月)\(^o^)/ さあ、私たちも主の光のうちを歩もう。 イザヤ2:5 わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。 ヨハネ8:12 ************* 今週のテーマ:神との和解 きょうの聖書:2コリント5:11-15 コリント人への手紙第二5章14節15節 キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。 「キリストの死の意味」 「ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです」という言葉は、一人の人イエス・キリストが、 すべての人の罪の身代わりになって死なれたのだということを教えています。それは自己中心という罪のためなのです。自己中心とはキリストが死ななければ解決できないほどの大きな罪なのです。 パウロは、キリストの死を、特別に重要なものとして教えています。一人の人、アダムによって罪ある者とされた私たち人間が、もう一人の人(最後のアダムとも言われているのですが)イエス・キリストのお陰でいのちある者、即ち、神との関係を修復された者として生きられるようになるのです。 アダムに属していた私たちが、キリストに属する者として生きられるようになるのですから、キリストと共に、キリストのために生きるのは当然なことだろうとパウロは語ります。「自分のために死んでよみがえった方のために生きる」ことが私たちを自己中心から解放させる方法として提供されたわけです。 自己中心という問題がすべての悪の根元にあるということです。私たちはこの罪に縛られていて離れることができません。それは常に私が正しくて相手が悪いという判断の基になってしまいます。それでは自分の心も家庭の中も、社会全体も治まることはできません。キリストは私たちの持つその罪のために身代わりの死を遂げたのです。キリストの死と復活は今日も私たちに有効です。 祝福を祈ります。