今日の聖句3月16日(木)\(^o^)/ 主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼を見つけ、これを抱き、世話をし、ご自分の瞳のように守られた。 申命記32:10 神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。 1ヨハネ4:16 ************* 今週のテーマ:大祭司イエス きょうの聖書:へブル8:1-6 へブル人への手紙8章1節2節3節 私たちにはこのような大祭司がおられるということです。この方は天におられる大いなる方の御座の右に座し、人間によってではなく、主によって設けられた、まことの幕屋、聖所で仕えておられます。大祭司はみな、ささげ物といけにえを献げるために任命されています。したがって、この大祭司も何か献げる物を持っていなければなりません。 「天で祈る大祭司イエス」 ユダヤのレビ系の祭司は、地上の幕屋で神様に仕えましたが、これは天に備えられている真の幕屋の模型でした。天の聖所こそが真の聖所であって、キリストは昇天して、そこで大祭司として仕えていてくださるのです。地上の幕屋も祭司も模型に過ぎないということです。 へブル書が繰り返して力説するのは、私たちにはこの真の大祭司が与えられているということです。今私たちが肉眼で天に居ます大祭司を見ることができないのは、昔、大祭司が贖いの血を携えて至聖所に入り、人々の目から離れて執り成し祈ったのと同じです。キリストは今、天の聖所で私たちのために祈っていてくださいます。 昔は動物の犠牲の血が用いられましたが、今は神の一人子イエス・キリストが十字架で一度だけ流した血によって成し遂げられた贖いがあります。キリストは天の聖所で祈りの座に着座し、神様と人々の間に立って和解の仲保者としての働きをしていてくださいます。 主イエス・キリストの昇天は地上の奉仕を終えてご自分の安息を得るためではなく、地上において成し遂げた贖いを有効なものにするために祈るという仕事をするためだったのです。イエス様が私たちのために天で祈っていてくださいます。将来を悲観することなく、むしろ、将来に希望をもって感謝の信仰生活をさせていただきたいと思います。 祝福を祈ります。