今日の聖句3月14日(火)\(^o^)/ わたしはすべての国々と種族を集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る。 イザヤ66:18 「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。 2コリント4:6 ************* 今週のテーマ:大祭司イエス きょうの聖書:へブル2:5-9 へブル人への手紙2章6節7節8節 「人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたがこれを顧みてくださるとは。あなたは、人を御使いよりもわずかの間低いものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせ、万物を彼の足の下に置かれました。」神は、万物を人の下に置かれたとき、彼に従わないものを何も残されませんでした。それなのに、今なお私たちは、すべてのものが人の下に置かれているのを見てはいません。 「神であり人であるキリスト」 「人とは何ものなのでしょう」という言葉に始まる聖句はダビデの作による詩篇第8篇の4節5節に在ります。取るに足りない存在である自分(ダビデ)に対して神様からの有り余る恵みが注がれていることに対する感謝の言葉です。そして、へブル書はこの9節で「人」とはナザレのイエスのことであると明言しています。 イエス様が御使いよりも、わずかの間低いものとして世界に現れたのは、人類の救いのために人間の形を取り、苦難を受けられたということを物語っているのであり、キリストの究極の謙遜の姿をであることを述べているのだということです。ところが、ユダヤ人にとってイエス様は決して神ではなく、ナザレの大工ヨセフの子であるのです。 へブル書はあえて、その大工ヨセフの子であるイエスこそ全世界に対する永遠の大祭司であると証言しています。神様の御前でユダヤ人をとりなして神様とユダヤ人を和解させてくれる大祭司はイエス様以外には居ないのです。イエス様はユダヤ人だけでなく、全世界のすべての人を神様の御前でとりなす大祭司なのです。 罪と死の奴隷の立場にまで落ちぶれた人間を、贖い、買戻しをできるのは同じ人間だけなのでイエス様は人間の姿になって救い主としての働きを全うしてくださったのです。救い主が完全無欠な神であり、同時に弱さを持つ正真正銘の人間であるということを理解する人は難しいことですが、その難しさを乗り越えてくださったのが私たちの救い主、イエス・キリストなのです。 祝福を祈ります。