今日の聖句3月5日(日)\(^o^)/ 主が仰せられるとそのようになり、主が命じられるとそれは立つ。 詩篇33:9 主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。 マタイ8:8 ************ 今週のテーマ:ぶどうの木 きょうの聖書:ヨハネ15:1-10 ヨハネの福音書15章5節6節7節 わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。人々がそれを集めて火に投げ込むので、燃えてしまいます。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。 「キリストにつながれ」 そもそも、幹から枝が生え出てくるのであって、幹にとどまっていない枝は、既に折られてしまっているか、剪定ばさみで切られてしまっているはずです。それなのに、イエス様は「枝ならば枝の方から幹にくっついてこい」と招いておられるようです。これは接ぎ木ですね。甘い柿の実は全て接ぎ木によって稔るものです。 私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活によって神の子として新生したのですが、言い方によってはイエス・キリストに接ぎ木されたものであると言えるのかも知れません。イエス様は私たちに祈りによっていのちの関係を養うように導いて下さっています。祈りによってイエス様に連なり、祈りによってイエス様にとどまることができるのです。祈りによってイエス様の愛を知ることが出来ます。 もしかすると、自分が無駄な枝で、切り取られてしまうのかと不安になる人もいるかも知れませんが、どんな物でも、どんな人でもイエス様に連なった人で無駄な人生を送った人は居ませんし、無駄と思われるような物でも福音宣教のために使われると不思議に人々の救いの為に役立つものです。燃やす以外には何にもならない小枝でも、キャンプ・ファイヤーのたき付けにはなります。 イエス様にとどまっていること、イエス様につながっていること、福音宣教と弟子訓練の為にイエス様に祈っていること、祈りによってイエス様とじっくり交わり、いのちの関係と絆を養っていくならば、私たちはイエス様の弟子として豊かな伝道の実を獲得できるのです。イエス様が祈りに答えて、いつまでも残る伝道の実を収穫させて下さいます。 祝福を祈ります。