今日の聖句2月16日(木)\(^o^)/ 苦しみの中から、私は主に叫びました。すると主は、私に答えてくださいました。 ヨナ2:3 あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。 ルカ12:7 ************* 今週のテーマ:イエスの栄光 きょうの聖書:ヨハネ2:23-25 ヨハネの福音書2章23節24節25節 過越の祭りの祝いの間、イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じた。しかし、イエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。すべての人を知っていたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。 「奇跡と信仰」 イエス様の教えとイエス様のなさった奇跡を見て多くの人々がイエス様を信じました。しかし、イエス様の方ではその信じた人たちの信仰を信頼しなかったというのです。その理由は、イエス様は「人のうちにあるものを知っておられた」からだといいます。奇跡が起これば信じるということなら、奇跡がなければ信じないということになります。 この23.24.25の三節はイエス様という御方は「人の心を知る」という神様にだけしかできないことをなされる全知全能の神様だということを強く述べています。人々が「信じます」と口先だけで言うなら、それが自分の都合と勝手によることだと見抜いておられるというのです。 逆に心がみられるということは、私たちの行いがお粗末でも、神様に対する心が純粋なら、その純粋な心を認めてくださるということでもあります。仕事を上手にそつなくこなしても、十字架を背負ってキリストに従っていく心がないならば、イエス様はそういう人には自分を任せることはできないといわれているわけです。グズでも下手でも謙遜に従う人にご自分を任せてくださいます。 私たちは信仰をささげます。礼拝をささげます。自分自身をもささげます。そのささげている私たちをイエス様が受け取ってくださるかどうか、それをも考える必要があります。キリストを信じた人はキリストに受け入れてもらえるような信者になるように訓練を受け、成長していく必要があります。 祝福を祈ります。