今日の聖句2月10日(金)\(^o^)/ 良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」とシオンに言う人の足は。 イザヤ52:7 足には平和の福音の備えをはきなさい。 エペソ6:15 ************ 今週のテーマ:信仰の戦い きょうの聖書:2コリント4:7-15 コリント人への手紙第二4章7節8節9節 私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 「絶対安心」 「私たちは、この宝を土の器の中に入れています」とパウロは言いますが、それは、「弱く無価値な存在である」私たちに「神の力である福音を与えられている」というふうに考えることができます。この福音は私たちをキリストの死と復活に結び合わせます。 苦難に遭うときにはキリストの死を自覚させ、その先にキリストの復活を期待させるものなのだとパウロは言います。迫害と苦難は現実なのですが、その先のイエス様の命による勝利もまた現実だとパウロは確信しているのです。パウロの証は壮絶です。 苦しめられ、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒されるという日々が使徒パウロと仲間たちの日々でした。福音の力で行き詰らず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされないという確信を持っているのです。滅びには迷いという意味があります。パウロも私たちも、どれほど大きな苦難に遭遇しても、キリストから愛されていてるという確信は揺らぐことはありません。 パウロはイエス様の死と復活、イエス様のいのちと自分をそのように理解し、そのように結びつけているのです。パウロの信仰は「キリストの死といのちが、わたしの肉体といのちを覆い尽くしている」というものなのです。私たちも神様の大きな愛の中で生かされているという安心感で包まれています。地球が空気に包まれているように。 祝福を祈ります。