今日の聖句2月8日(水)\(^o^)/ まことに私たちの心は主を喜び私たちは聖なる御名に拠り頼む。 詩篇33:21 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。 1テサロニケ5:16-17 ************* 今週のテーマ:信仰の戦い きょうの聖書:へブル12:4-8 へブル書12章5節6節7節 あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。 「試練は訓練」 私たちがこれは試練だと思い、あるいは苦難だと思うような出来事は、実は御父の愛から出ている訓練なのだとへブル書は言っています。試練も苦難も受けたくはありませんが、神様は私たちを神様の水準に引き上げようとしていてくださいます。私たちが自分の成長をあきらめてしまっても神様は私たちの成長をあきらめないのです。 大人になってしまった息子や娘には折檻は効きませんが、18歳くらいまでなら折檻も有効です。神様は私たちを未成年と見なして訓練を続けていてくださいます。私の場合は他の人からの批判や悪口がその折檻に当たります。その折檻によって高い鼻をへし折られるのです。心は折れてしまい、挫折感を覚えるのですが、御父の訓練であることを思い出すと謙遜になれるのです。 芥川龍之介も「鼻」という小説を書いて自分の高慢は鼻をつぶされなければ治らないということを述べています。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない」という言葉は私たちの心に刻み付けておく必要があります。この訓練は年少者や目下のものから受ける場合が多いからです。 主の訓練は私たちをキリストの花嫁として整えて完成させるという大きな目的があります。キリストから愛され、キリストを愛し、キリストから受けた愛で他の隣人を愛せるようになるというところが目標点です。キリストの目線で物事を見、キリストの目線で他の人を見られるようになることです。そこに到達するまでには私はまだまだ試練と訓練を受けなければなりません。 祝福を祈ります。