今日の聖句1月15日(日)\(^o^)/ 義と公正を行うことは、主の前で、いけにえより望ましい。 箴言21:3 からだが霊を欠いては死んでいるのと同じように、信仰も行いを欠いては死んでいるのです。 ヤコブ2:26 ************ 今週のテーマ:神を知る きょうの聖書:ヨハネ6:34-40 ヨハネの福音書6章35節 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。 「いのちのパン」 聖書を読むとき「イエス様は○○○である方」とノートにメモしていきます。そうするとイエス様が私たちにとってどういう御方であるかがよく分かります。イエス様がどういう御方であるかが分かるとき、私たちは生き生きと信仰生活ができます。しかし、イエス様がどういう御方であるか分からなくなると私たちは空腹になったときのように力を失います。 ヨハネ伝の15章7節までに7つの「わたしは○○○です」というイエス様の自己紹介がありますがその第1がこの「わたしがいのちのパンです」というものです。イエス様が命を与えるパン。いのちを養うパンです。すべての命は生きている命から生まれ、すべての命は生きている命によって養われます。無機物から命が生まれることはないのです。 命が命を生み出す力を持っているのです。赤ちゃんの命は生きているお母さんから与えられます。イエス様が生きている永遠のいのちそのものなので、イエス様はいのちを与えることができ、人のいのちを養うことも出来るのです。イエス様が生きていることはイエス様の御復活が如実に証明しています。人が生きるためにご飯を食べ米の命を摂取するように、人はキリストのいのちによって生き生きと生きることができるのです。 食べ物を体内に受け入れるのは、それが食べられると信じなければできないことです。「信じる」ということと「食べる」ことはと同じなのです。初めて入った食堂でどんな人が作ったかも知らずに、平気で信じて食べてしまいます。それなら、どうしてこれほどまでに私たちを愛してくださるキリストを心の中に受入れられない分けがあるでしょうか。イエスさまはご自分をいのちのパンになぞらえて、こういわれました。「わたしがいのちのパンです。」 祝福を祈ります。