今日の聖句1月14日(土)\(^o^)/ あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々がしかもその一日もないうちに。 詩篇139:16 何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。 マタイ6:25 ************ 今週のテーマ:神の招き きょうの聖書:イザヤ6:1-13 イザヤ書6章6節7節8節 私のもとにセラフィムのひとりが飛んで来た。その手には、祭壇の上から火ばさみで取った、燃えさかる炭があった。彼は、私の口にそれを触れさせて言った。「見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された。」私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」 「きよめと任命」 きょうの聖書は1節でウジヤ王が死んだ年のこととされています。それはB.C.735年頃です。ウジヤ王はユダ王国中興の名君でした。ウジヤ王が健在であった時期は近隣諸国から圧迫されることはありませんでした。しかし、後年に至ってウジヤ王は傲慢に陥り、らい病を患って死亡しました。 それ以前からイザヤは賛美と祈りの生活に入って神様に仕える生活をしていました。イザヤはウジヤの孫でウジヤの二代後のヒゼキヤ王とは従兄同士の間柄です。ウジヤの死後イザヤは危機を感じて神殿に入り、祈っていた時にセラフィムむによって炭火を唇に当てられるという幻を見ました。 それはイザヤが「ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから」と告白した直後のことです。きよく輝く神様に接し、セラフィムの美しい賛美の声に触れた時に、イザヤは自分の罪と心の汚れを悟ったのです。 唇が炭火に触れたというのは幻であり、現実には人の心をきよめる聖霊がイザヤの心をきよめたのです。私たちはすべて聖霊を受け、聖霊に触れる時にきよめられます。きよめられたイザヤは「だれを、わたしは遣わそう」という神様の招きの声に、「ここに私がおります。私を遣わしてください」と答えて預言者として立ち上がったのです。私も聖霊によってきよめられ、強められて神様のために働く者として立ち上がらせていただきたいと思います。 祝福を祈ります。