今日の聖句1月6日(金)\(^o^)/ ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。彼が主に祈ったとき、主は彼に答え、しるしを与えられた。ところがヒゼキヤは、自分に与えられた恵みに応えようとせず、かえってその心を高ぶらせたので、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。 2歴代誌32:24-25 「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。 1ペテロ5:5 ************* 今週のテーマ:イエスの栄光 きょうの聖書:詩篇29:1-10 詩篇29篇3節〜7節 主の声は水の上にあり栄光の神は雷鳴をとどろかせる。主は大水の上におられる。主の声は力強く主の声は威厳がある。主の声は杉の木を引き裂き主はレバノンの杉を打ち砕く。それらの木々を子牛のようにレバノンとシルヨンを若い野牛のように跳ねさせる。主の声は炎の穂先をひらめかせる。 「主の声」 ここで言われている主の声とは、雷鳴のことです。自然界には様々な力の現れがありますが、それは大きな破壊を起こすと同時すべての生き物に生きる命ももたらします。自然の力は侮れず、また、自然の力には抗うことができません。そして、神様はその自然の力を統率しています。 山の中を歩いていると目通し80cmほど高さの30mもの大木が真っ二つに割れているものに出会うことがあります。もし、これが自分の目の前で起こったら生きてはいられないだろうなと思います。落雷です。夜中にピカッと光って昼間のように明るくなり、それと同時にガッシャという地響きと共に雷鳴が轟くのです。 自然界ではそのような力の現れがありますが、私たちの心の中には雷鳴や落雷のような神の声の響きが起こります。現実にはエリヤに臨んだ細い声である場合が多いのですが、細くても私たちの心に響く神の声は私たちの人生を一変させる威力を持っています。有名な話ではシュバイツアー博士に臨んだ「生への畏敬」があります。 中田重治監督が大衆伝道で語ったのは「初めに神が天と地を創造した」だったそうです。パウロに臨んだ「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」というイエス様の声も強いものでした。神様に用いられた人物の多くは個人的に語られた神様の御声によって突き動かされています。神様への信仰と信頼が純化され、聖く潔くなってくるとその人の心に響く神様の御声は鮮やかなってきます。 祝福を祈ります。