今日の聖句12月31日(土)\(^o^)/ わたしは、わたしの家のために、行き来する者の見張りとして衛所に立つ。 ゼカリヤ9:8 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。 ローマ8:31-32 ************ 今週のテーマ:感謝 きょうの聖書:詩篇1:1-6 詩篇1篇1節2節3節 幸いなことよ、悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。 「流れのほとり」 この詩篇1篇はバビロンから帰還した人々の指導者であったエズラによって作られた詩であると伝えられています。ネブカデネザルによって滅ぼされ、バビロンに捕囚されましたが、その間も神様は神の民と共にいてくださったという感謝が伝わってきます。 神様を冒涜することなく、常にみことばを黙想しながら生きている人はいのちの水の流れのそばに植えられた木のようだと言っています。バビロン捕囚が終わって、回復の時が来たのです。神の民は再び葉を広げて豊かに実を結ぶ木のようになります。 幸いなことよ、という書き出しはイエス様の山上の垂訓の冒頭で用いられた言い方です。文語聖書では、幸いなるかなと書き出されています。エルサレムが滅ぼされたことも、捕囚の憂き目を被ったことも、帰還できたことも、心の貧しいことも、悲しむことも主と共にいる人にとってはすべてが幸いなのです。 青梅教会のホームページは「いこいの水のほとりに立つ教会」という名称になっています。「時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える」という信仰を証しする名称です。この一年イエス様は私たちと共にいてくださいました。そして、明日からの新しい年もイエス様が私たちに豊かに臨在してくださると確信します。一年間のご講読をありがとうございました。良い年をお迎えください。 祝福を祈ります。