今日の聖句12月24日(土)\(^o^)/ 彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。 ゼカリヤ9:10 いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。 ルカ2:14 ************* 今週のテーマ:イエスの誕生 きょうの聖書:ルカ2:22-38 ルカの福音書2章29節〜32節 主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。 「キリストだけ」 ヨセフとマリヤが生まれて八日目のイエス様を連れて神殿に来た時、そこにいたシメオンは聖霊に教えられて、母マリヤに抱かれている赤ちゃんが、イザヤやエレミヤなどの預言者によって到来を預言されていた救い主、メシヤであると気付きました。普通ではただの礼拝に来た親子連れとしか思えないはずです。 しかし、シメオンとアンナは毎日、毎日、そしてさらに毎日神殿に来て救い主を遣わしてくださいと神様に祈り続けていたのです。何十年も祈り続け、待ち続けていたのです。救い主以外のものは一切求めず、ただキリストだけを祈り求める人生を生きていた二人でした。これが素晴らしい信仰です。 私たちは祈るとき、あれをください、これをください、と祈ります。救い主ご自身を求める祈りがありません。経済的には給与や年金に頼り、健康面では医者や薬に頼り、個人的には親や子に頼るばかりで、キリストが私の救い主ということを忘れてしまっているかのように見えます。シメオンとアンナは神殿に座り込んでひたすらキリストだけを待ち望んだのです。 ですから、両親に連れられて幼子の救い主が現れた時、「今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます」といって、もう死んでもいいですという言葉で救い主を賛美し、自分の喜びを言い表したのです。キリスト以外の物に頼った私たちは、いつの日か自分の失敗に気づきます。そして私たちは思います。やっぱりキリストだけが私の救い主だったと。 祝福を祈ります。