今日の聖句11月30日(水)\(^o^)/ 疲れた者には力を与え、精力のない者には勢いを与えられる。 イザヤ40:29 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」 ヨハネ6:35 ************ 今週のテーマ:待望 きょうの聖書:エゼキエル7:25-27 エゼキエル書7章25節26節27節 恐怖がやって来る。彼らは平安を求めるが、それはない。災難の上に災難が訪れ、うわさがうわさを生む。彼らは預言者に幻を求めるようになる。祭司から律法が、長老から助言が失われる。王は喪に服し、君主は恐怖に包まれ、民衆の手はわななく。わたしが、彼らの行いにしたがって彼らに報い、彼らのやり方にしたがって彼らをさばくとき、彼らは、わたしが主であることを知る。』」 「絶望の時」 きょうの聖書は複数回にわたってエルサレムがバビロニヤ軍に襲われた最後の攻撃の中で書かれたものと言われています。第一回攻撃でエコニヤ王と貴族や身分の高いものが捕囚さけれ、第二回では身分の低いものが捕囚され、第三回ではエルサレムに残っていた者たちが皆殺しになりました。 エルサレムは完全に破壊され、住んでいる人はいなくなったのです。絶望を通り越した虚無であり、エルサレムには一切のものが存在する根拠がなくなってしまったのです。神様を捨てたユダヤ人の最後はこのような姿になってしまいました。神様に生かされていることを忘れ、傲慢不遜になった結果です。 エゼキエルは、神様の裁きが実行された時、初めてユダヤ人は神様によって生かされなければ生きることができないことを悟ると言ったのです。私たちも自分の力では生きられないという境遇に陥ったときはじめて神様に救いを求めます。自分の知恵で何とか切り抜けようと思っている間は祈ることさえしません。 イエス・キリストが降臨したのはエルサレムががそのような状況になった時でした。時代が悪くなり世相が乱れ、誰にも手が付けられないようになった時、キリストは来るのです。これから先、世界がそのように悪くなっても、私たちはキリストに目を向け、キリストに頼り、キリストとともに生きる道を守っていかなければなりません。心を引き締めて信仰と礼拝に努めたいと思います。 祝福を祈ります。