今日の聖句11月28日(月)\(^o^)/ エルサレムよ、わたしはあなたの城壁の上に見張り番を置いた。終日終夜、彼らは、一時も黙っていてはならない。 イザヤ62:6 また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。 2ペテロ1:19 ************* 今週のテーマ:待望 きょうの聖書:イザヤ121:1-6 イザヤ書12章1節〜4節 その日、あなたは言う。「主よ、感謝します。あなたは私に怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださったからです。」見よ、神は私の救い。私は信頼して恐れない。ヤハ、主は私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。 「神は私の救い」 イザヤはこの12章で1節〜6節を通して、救いを喜び、恵みを感謝しています。その救いの感謝は出エジプトで紅海を渡り終えてシナイに上陸した時の大喜びに匹敵しています。いのちを守られた喜びであり、神への信頼に満たされた喜びです。救い主キリストは出エジプトの恵みを万民に与えるお方なのです。 イザヤは「神は私の救い」、「主は私の力」という宣言を発しています。イザヤの信仰の確信であり、その表明です。私たちも祈りや証の中でこのように自分の信仰を表明する姿勢を持ち続けたいものです。「主は私の希望」という言い方もありますし、「主は私のいのち」とも言います。 イザヤは北イスラエルがアッシリヤの滅ぼされる25年くらい前から滅ぼされた後の25年後くらいまで南ユダ王国で活動しましたが、北イスラエルも南ユダも滅ぼされた後、あたかも、モーセによって出エジプトを達成し、カナンに帰還できたようにエルサレムに帰還し、大喜びして神様に感謝するようになると言っているのです。 イザヤは、救い主は「救いの泉」となるとも言いました。救い主から永遠のいのちの水がこんこんと湧き出してくるというのです。モーセが岩から水を湧き出させたことを連想させます。イザヤはメシヤの救いを出エジプトとモーセを連想させることによって私たちに示そうとしているのです。私たちはイエス様に目を向けていきたいと思います。 祝福を祈ります。