今日の聖句11月17日(木)\(^o^)/ 私のたましいよおまえの全きいこいに戻れ。主がおまえに良くしてくださったのだから。 詩篇116:7 平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。 2テサロニケ3:16 ************* 今週のテーマ:神の審判 きょうの聖書:2テモテ3:1-9 テモテへの手紙第二3章1節〜5節 終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒涜し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。 「聖書」 終わりの日とは、終末の時代であり、困難な時代とは危険な時代と言う意味です。それは神の審判が下る直前の時期です。道徳が退廃し、宗教的に堕落する時代が来るという予告です。クリスチャンが罪を犯すようになるだけではなく社会全体が腐敗するようになるというのです。あたかも、バビロニヤに攻められる前のエルサレムのような姿です。 教会はキリストを礼拝しているように見えても、実は、キリストには似ても、準じてもいない、無関係のような姿になってしまうというのです。罪の意識が消え、キリストの救いの力、きよめの力を拒否して、私はこれで良い、と言い切ってしまうようになるのです。 ここに神様から咎められ、裁かれる罪が列挙されていますが、その中でも「自分だけを愛し」と「神よりも快楽を愛す」という二つがとても気にかかります。これがモーセの十戒に真っ向から対立するからです。神様を信じると言いながら神よりも快楽を愛すとは甚だ神様を侮った生き方だからです。 私たちに必要なことは、聖書を読むことです。聖書は信仰生活の唯一の規範です。真剣に聖書を読み続けていないと私たちは信仰から脱線してしまいます。バビロン捕囚前のユダヤ人は聖書に見向きもしなくなっていたのです。聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。(2テモテ3:16)聖書を読みましょう。 祝福を祈ります。