今日の聖句11月3日(木)\(^o^)/ 神である主はこう仰せられる。わたしがイスラエルの家を、散らされていた国々の民の中から集めるとき、わたしは諸国の民の目の前で、わたしの聖なることを示そう。 エゼキエル28:25 神の賜物と召命とは変わることがありません。 ローマ11:29 ************ 今週のテーマ:礼拝 きょうの聖書:コロサイ3:12-17 コロサイ人への手紙3章16節17節 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。 「聖句の暗唱」 きょうの聖書では、深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着け、互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい、愛は結びの帯として完全なものですと教えた後、キリストのことばを心の内に豊に住まわせなさいと導いています。聖句の暗唱が求められているのです。 私たちの日常生活は暗記したみことばによって成り立つからです。私たちの心の中で生きて働くみことばが私たちを動かします。そもそも、お祈りとは、みことばを唱えることであり、神様の恵の約束であるみことばの実現を求めるものなのですから、みことばという土台のあるお祈りはとても力強いのです。 私たちの礼拝は、お互いに授かったみことばの分かちあいです。牧師は自分が神様から授かったみことばを礼拝で紹介しています。礼拝するクリスチャンは教会に集まって、神様から与えられたもみことばによる恵を分かち合うことが必要ですし、教会にはそういう機会がなければなりません。 心に蓄えられたみことばで元気な信仰生活ができるのですが、それを自分一人のものにしておくことはとてもったいないことです。教会に行けば必ず恵の証を聞いてくれる人が居ます。恵のみことばを聞きたいがために教会に集まるのだからです。礼拝の前に証し、礼拝の中で証し、礼拝がが終わった後、残っている人同士でみことばを証し合うことができたら最高です。 祝福を祈ります。