今日の聖句11月1日(火)\(^o^)/ なぜ、苦悩する者に光が、心の痛んだ者にいのちが与えられるのか。彼らは死を待つが、死はやって来ない。 ヨブ記3:20-21 神は、万物を人の下に置かれたとき、彼に従わないものを何も残されませんでした。それなのに、今なお私たちは、すべてのものが人の下に置かれているのを見てはいません。 へブル2:8 ************ 今週のテーマ:礼拝 きょうの聖書:創世記28:10-221 創世記28章15節 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。 「神様に向き合う心」 これはヤコブが夢の中で神様から頂いた約束のことばです。この約束には非常に大きな祝福が込められています。ヤコブは「ここは天の門だ」と叫びました。そして、その約束は私たちの人生でも実を結んでいます。ヤコブには神様に心を向けていく姿勢がありました。それはアブラハムにもイサクにも備えられていた神様からの賜物だったと思います。 ヤコブという人は常識的に考えると批判されるタイプの人です。父親のイサクを騙し、兄エサウを出し抜いて家督相続権を奪いました。兄に殺されることをおそれて母の兄である伯父ラバンのもとに身を寄せ、伯父の羊を自分の羊に造り替え、四人の妻を持ち、その中のラケルが生んだヨセフとベニヤミンだけを依怙贔屓しました。 ずる賢い人でした。ところが、そのヤコブにはいつでも神様に向き合う心があったのです。この時は、ユダヤ南部のベールシェバから伯父の居るトルコ山中のハランへ逃げていく途中でしたが、石を枕にして寝ている時でさえ、夢の中で礼拝していたのです。神様はご自分に心を向けてくる人に恵みを注ぐのです。 ハランで四人の妻と十二人の男子さらに大きな財産と下僕を獲得してベールシェバへ帰るときも、恐怖に包まれながら天の使いと格闘してイスラエルという新しい名前まで授かっています。逃げる時も変える時も兄を恐れておののいているのですが、心は神様に真正面から向き合っていました。それがヤコブの力になったのです。 祝福を祈ります。