今日の聖句10月31日(月)\(^o^)/ 主はこう言われる。公正と正義を行い、かすめ取られている者を、虐げる者の手から救い出せ。寄留者、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また、咎なき者の血をここで流してはならない。 エレミヤ22:3 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れないようにしなさい。 ローマ12:9 ************ 今週のテーマ:礼拝 きょうの聖書:ローマ12:1-8 ローマ人への手紙12章1節2節 あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。 「私たちの礼拝」 ローマ人への手紙は12章以下でクリスチャンの生活の基準を述べています。そしてここでは、その信仰生活の入り口が自分自身を神様に献げる献身的礼拝であると述べられています。この献身は目に見える形としては、洗礼として行われ、目に見えない形としては、自己中心を捨ててることであり、神様と共に生きる生活をすることです。 私たちの礼拝は、聖書を通してイエス・キリストの姿を仰ぎ見、イエス・キリストの生き方に学ぶということです。キリストを手本にして生きること、それが礼拝生活であり、信仰生活なのです。イエス様と御父の関係を学び、イエス様と家族の関係を学び、イエス様と社会のつながりを学び、イエス様と弟子たちとの関係を学んで、私たちもそのように生きるということです。 自分を変えていただくとは、自己中心な生き方からキリスト中心の生き方に変えられることです。イエス様には全く自己中心性はありませんでした。しかし、私たち人間はどこまでも自分を中心にして物事を考えることしかできません。イエス様を見つめ、イエス様に倣う物事の考え方を身に着けるために礼拝するのです。 良いことを見分けるには、一歩下がって、自分の利益や自分の都合で、ではなくイエス・キリストの立場で、イエス・キリストのご計画という立場で物事を考えることが欠かせません。その時に何が良いことであるのかが明らかにされるのです。キリストの視点でものを見、キリストの心でものを考えるということです。それが私たちの礼拝です。 祝福を祈ります。