今日の聖句10月28日(金)\(^o^)/ 彼らが生きるかぎり、あなたがたの神、主を恐れることを学ばなければならない。 申命記31:13 善を行うすべての者には、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。神にはえこひいきがないからです。 ローマ2:10-11 ************ 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:ピリピ4:15-20 ピリピ人への手紙4章15節16節17節 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました。私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。 「神様の喜ぶ献金」 パウロの宣教活動を支えたのはピリピ教会からの献金でした。ピリピ人への手紙は献金に対するお礼を述べることを大きな目的として書かれたのです。パウロがローマで拘束されていた時、ピリピの信者たちはエパフロデトと言う信徒に託して、再び、献金を届けました。 エパフロデトはローマで発病しましたが、回復してピリピに帰るときに、パウロはこの手紙を書いてエパフロデトに託したのです。パウロは裕福ではないピリピ教会からの献金に感動しました。そして、その献金を大きく上回る神様の恵みがピリピ教会に注がれるようにと祈っています。「あなたがたの霊的な口座に加えられていく実」ということばで表されています。 特に、ピリピ人への手紙は「喜び」と言う言葉が繰り返されています。献金した人に神様から与えられる喜びです。昔、八王子教会で小川浩一さんと言う人が会計係をしていた時、中村吉松さんと言う信徒が顔には喜びを湛え、全身で踊るようにして献金を届けに来たそうです。小川さんが「どうしたね」と聞くと中村さんは献金ができるのだから嬉しくてたまらないと答えたそうです。 ピリピ教会のパウロへの献金は確かにパウロを支えたのですが、実は、神様に献げられた献金であり、献金を受けた神様の喜びがパウロの喜びとなり、ピリピ教会の喜びとなったのです。私たちも献金をもって神様に仕え、献金をもって教会に奉仕する姿勢を維持していきたいと思います。サンデー・サービスは日曜献金です。 祝福を祈ります。