今日の聖句10月26日(水)\(^o^)/ 神よ立ち上がって地をさばいてください。あなたがすべての国々をご自分のものとしておられるからです。 詩篇82:8 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 ヨハネ3:17 ************ 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:使徒4:32-37 さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。 「共有と持ち寄り」 ここに共有と持ち寄りの考え方が紹介されています。物は共有にすると少なくても十分な満足が得られ、持ち寄りにすると欠乏する人がなくなるので、この考え方は日本では江戸時代には広く普及していました。ユダヤの社会では2000年も前からこのような合理的な経済制度が確立されていたわけです。 今の時代のキリスト教会もほぼ完全に共有と持ち寄りで成り立っています。牧師も信徒もそれぞれ自分の生活に見合った献金を持ち寄り、その資金で教会が運営されています。礼拝堂や備品などについても、誰も自分の所有権を主張する人などはいません。共有なのです。 初代教会の人たちは、キリストの復活を目撃した人たちであり、復活の主を信じている自分たちも必ずキリストのように復活できるという自信と確信がありましたから、その恵みを与えてくださった神様への献げ物は惜しむことなく献げられていきました。復活なんて嘘だろうという疑念が存在しないのです。 私たちも同じです。私などもキリストを信じる前の自分と信じた後の自分がすっかり変わってしまいましたので、変えてくださったキリストにためらわずに献げ続けられています。どう変わったかと言うと、まず第一は生き甲斐に満たされて生きられるようになったこと、次は、うじうじしなくなり、腐らなくなりました。いつも心に平和と喜びがあるのです。すべて復活の主が成し遂げてくださったことです。 祝福を祈ります。