今日の聖句10月25日(火)\(^o^)/ 主は言われた。「あなたは当然であるかのように怒るのか。」 ヨナ4:4 兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。 ガラテヤ6:1 ************ 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:レビ27:30-33 レビ記27章30節31節32節 地の十分の一は、地の産物であれ木の実であれ、すべて主のものである。それは主の聖なるものである。しかし、もしも人がその十分の一の一部を買い戻したいのであれば、それにその五分の一を加える。牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を通る十番目ごとのものが主の聖なるものとなる。 「十分の一の献げ物」 ここに十分の一の献げ物についての教えがあります。地の産物と果物、牛と羊のそれぞれ十分の一は元々、神様の所有であると述べられています。更にこれらの物は神様に献げられることによって聖とされると記されています。神様の所有になることによってきよめられるのです。これを聖別と言います。 今日の聖書箇所では、献げられた物を買い戻すことについても教えられています。宗教法人法では人が教会に献げものをした場合は献げた人にはその献げたものについての発言権は認められていません。ここでは献げた物の価格の120%の金額で買い戻せるとされています。この買い戻しが贖いにあたります。 昨今、キリスト教社会の中で十一献金がなおざりにされている風潮が見受けられていますが、私たちもしっかりと信仰に立って十一献金に励む必要があります。イスラエルは十一の献げものを納めている間は神様の祝福の中に在りましたが、十一を怠った後は祝福を失ってしまいました。十一の献げ物は神様を第一にする生活の現れになるのです。 私たちは滅びの中に在りながらイエス・キリストの贖いを受けて神様の所有に戻されました。ですから、私たちは自分のすべてを神様のためにささげる義務があるのです。私たちは時間を神様に献げ、仕事も趣味も神様に献げ、お金も神様に献げます。クリスチャンの信仰生活は神様に献げる生活なのです。そこに豊かな祝福があります。 祝福を祈ります。