今日の聖句10月23日(日)\(^o^)/ 何事か。おまえがわたしのおきてを語りわたしの契約を口にするとは。おまえは戒めを憎みわたしのことばをうしろに投げ捨てた。 詩篇50:16-17 自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。 ヤコブ1:25 ************* 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:ルカ21:1-4 ルカの福音書21章2節3節4節 ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨を二枚投げ入れるのを見て、こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、だれよりも多くを投げ入れました。あの人たちはみな、あり余る中から献金として投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っていた生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」 「生かされている」 いま日本の銅貨は10円玉と5円玉です。100円玉は銀が60%含まれています。レプタ硬貨は10円玉の四分の一ほどのサイズです。しかし、今の時代の日本での価値に換算するとおよそ80円くらいに当たるらしいです。2レプタそれがこの女性の全財産であり、しかも1日の生活費だったのです。 イエス様が褒めたのは、金額ではなくて、この女性の信仰でした。お金があるから生きられるのではなく、神様が生かしてくださるから自分も子どもも生きられるという信仰です。その信仰が無ければ生活費のすべてを献げることはできません。事実、私たちは神様によって造られ、神様によって生かされているのです。 イエス様は私たちにその信仰を求めています。私たちが神様によって造られたものであること、私たちが神様によって生かされていると信じる信仰です。先日の宮原福男さんの葬儀で長男の輝男さんが「神様の父を迎える準備ができたので、父は天に召された」という意味の挨拶をしました。私はそれを聞いて「さすが宮原福男の息子の信仰」と思いました。 なかなか「生かされている」とは思えないものです。殊に60歳前の人は自分で生きていると感じているので神様によって生かされているとは思えないのです。しかし、年齢が高くなると自分の力で生きているのではなく、神様によって生かされているとしか考えられなくなってきます。不思議なことです。この女性は多分30代だろうと推測しますが、自分の人生のすべてを神様に託していることが素晴らしいのです。 祝福を祈ります。