今日の聖句10月20日(木)\(^o^)/ 主よ、感謝します。あなたは私に怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださったからです。 イザヤ12:1 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。 マタイ9:13 ************* 今週のテーマ:共にいる神 きょうの聖書:1列王記17:8-16 列王記第一17章 イスラエルの神、主が、こう言われるからです。『主が地の上に雨を降らせる日まで、そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。』」彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。 「かめの粉・壺の油」 エリヤは北イスラエル王国でB.C.875年頃からB.C.850年頃まで活動した預言者でした。北イスラエルのアハブ王はバアル教の祭司の娘と結婚し、北イスラエルは偶像礼拝国になってしまっていました。そのころイスラエルは大きな飢饉に襲われていました。食べ物がなくなったとき、神様はエリヤにツァレファテに行きそこにいるやもめに養ってもらえと言われました。 ツァレファテはアセル族領内に在り、地中海に面する村で、今はレバノン領になっています。この女性も食べ物がなくなり、最後の一すくいの粉を焼いて息子と二人で食べて死を待つという状況でしたが、エリヤは、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい、と命じました。理由は「かめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない」からです。 その女性はエリヤのことばを疑わずそのまま実行しました。粉を焼いて食べてしまえば粉も油もなくなるはずですが、粉も油もなくなることはありませんでした。これは、天地の造り主である神様が確かに共にいてくださること証拠であり、神様のみことばが確実であることの証でもあります。偶像に頼っても飢饉から救われることはないのです。 女性と息子とエリヤは飢饉が収束するまで豊かに食べ続けることができました。私たちにとってのパンはみことばの恵みであり、油は聖霊です。全能の神様に従う生活をしている私たちには、心の糧であるみことばの恵みは尽きず、天から注がれる聖霊は常に私たちに人生に満たされ続けていきます。信仰が枯れてしまうということはないということです。 祝福を祈ります。