今日の聖句10月16日(日)\(^o^)/ あなたはさばきを曲げてはならない。人を偏って見てはならない。賄賂を取ってはならない。賄賂は知恵のある人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。 申命記16:19 互いの間では栄誉を受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたが、どうして信じることができるでしょうか。 ヨハネ5:44 ************* 今週のテーマ:共にいる神 きょうの聖書:1列王記8:22-26 列王記第一8章25節 イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたことを、ダビデのために守ってください。『あなたがわたしの前に歩んだように、あなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に就く者がわたしの前から断たれることはない』と言われたことを。 「神の面前で生きる」 これはソロモンがエルサレムの神殿を建設した時ささげられた献堂式での祈りの一部です。ソロモンは、ダビデが神様の面前で歩んだようにその子孫が神様の面前歩むならその子孫はイスラエルの王座から絶たれるれることはないという約束を守ってくださいと祈っています。 ソロモンは「私は父ダビデと同じように神様の面前を歩みますので、王座を維持させてください」と祈っているのです。人の目を意識して生きる人がいますが、神様に見られながら生きる人もいます。神様は私たちを常に見守られるお方です。それは神様の私たちに対する保護です。母親が赤ちゃんから目を離さないのと同じです。 神様と共に生きるとは、常に祈り心で生きることであり、何をするにも神様と共にするということでもあります。仕事をするときも、遊びに行くときも、芸術を鑑賞するときも、礼拝するときもキリストが共にいてくださるという確信をもって生きることです。私たちはキリストの大きな愛の中で生かされているのです。 私たちを見ていてくださる神様は、私たちと喜びを共有し、苦しみも悲しみも共有してくださるお方です。私たちの現状を詳しく見て承知していてくださるのからです。ここに恵みが湧き上がり、安心があります。神様の面前で生きる人はその生活のすべてを神様に守られるのです。それは裏も表もない真実な人生です。 祝福を祈ります。