今日の聖句10月5日(水)\(^o^)/

見よ、その時代が来る─主のことば─。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。
エレミヤ31:31

彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。父祖たちも彼らのものです。キリストも、肉によれば彼らから出ました。
ローマ9:4-5

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今週のテーマ:前進
きょうの聖書:ピリピ3:12-16

ピリピ人への手紙3章12節13節14節

私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。

「パウロの前進」

パウロはキリストの中で生活する者としての自覚を持っていました。毎日毎日本気になってキリストを追い求める姿勢を貫いた人でした。うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞を得るために、目標を目ざして一心に走っていた人生でした。

それは、きよさに向かって前進する人生です。彼は自分のユダヤ人という立場もローマの市民権を持っているという立場も、学歴も、知識も経験も、キリストを深く知ることのために妨げとなるなら、それらを誇ることを一切やめて、学ぶ人として、キリストに捉えられた者としてキリストの喜ぶ生き方を求めながら前向きに進んだのです。

それは人が見ていても、いなくても、牢獄の中でさえそうでした。キリストが「主」であり、自分はそのお方の「しもべ」として生きられる喜びを彼は決して失っていませんでした。これがきよい生き方というものです。キリストを中心にし、キリストを軸に生きると言えます。

15節で「成人である者はみな、このような考え方をしましょう」と呼びかけてピリピの教会にも読者である私たちにも「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進む」「目標を目ざして一心に走る」姿勢を促しています。パウロは市民権も学歴捨てましたが、私たちがきよめに進むのに捨てるべきは悪い感情とまとわりつく罪です。

祝福を祈ります。