今日の聖句9月26日(月)\(^o^)/ 私を帰らせてください。そうすれば、帰ります。主よ、あなたは私の神だからです。 エレミヤ31:18 あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。 ヨハネ20:27 ************* 今週のテーマ:神の愛 きょうの聖書:ガラテヤ2:15-21 ガラテヤ人への手紙2章19節20節 私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。 「偉大な愛の現れ」 きょうの聖書はガラテヤ人への手紙の中で最も良く知られている言葉だと思います。自分の努力や頑張りで律法を守り抜き、その褒美として救いを手に入れるという考えは間違っているとパウロは力説しています。その方法ではだれひとり神を満足させることができず、誰も「義とされない」のだと言います。 キリストが十字架の上で犠牲となって罪の代価を支払ってくださったので私たちは罪を赦されて救われました。キリストの十字架の出来事と自分自身を合致させ、そこで自分も神様からの裁きをキリストと一緒に受けたのだと信じ、断定することで、よみがえられたキリストが私のうちに生き、救いが恵みとして届くのです。 律法を守り抜く努力は悪いことではないのですが、それによって神の救いを得るという考えには無理があるのだとパウロは語ります。後の章に紹介されているのですが、律法は私たちが自分で完全に実行し尽くすことができず、救い主を必要とすることをわからせる意味をもっているのです。 キリストが十字架にかけられた時、わたしも一緒に律法によって断罪され一緒に神の裁きを通過し、死を通過し、そして、キリストのよみがえりの命の中で一緒によみがえらせて頂けたのです。私たちが新しくされ、キリストが私たちの内に生きてくださるは驚くべき恵みであり、これこそ神様の偉大な愛の現れです。 祝福を祈ります。