今日の聖句9月16日(金)\(^o^)/ わたしの民は、平和な住まい、安全な家、安らかないこいの場に住む。 イザヤ32:18 あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。 エペソ2:19 ************ 今週のテーマ:優しさ きょうの聖書:1ヨハネ3:11-18 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。 「愛がわかった」 私もイエス・キリストの十字架による救いを受けて初めて愛が分かりました。愛が分かった結果、私は仕返しを止めました。子どもの頃の私の手帳には仕返しをする相手の名前が書き連ねてありましたが、今は恨みに思う人は一人もいません。自分こそ他の人から恨まれるような罪を犯し続けていたのにイエス様が全部赦してくださったからです。 9年前に民生委員を引き受け、同時に老人会に入り、会長に就任して3期目になっています。この二つの働きは私にとっては地域社会への奉仕です。小学生のころ、父は私に「世のため人のために尽くす人生を送れ」と言い続けました。「通行人から飲み水を求められたら決して拒むな」「公のためには率先して土地を提供しなさい」「この世の中で偉い人とは、物を製造して社会へ提供する人だ」とも教えられました。 その親の教えを理解できた理由がイエス様による救いを受けたからだということです。教会に奉仕し、地域社会に奉仕できるようになれて、親の期待に少しは応えられたのかなと感じています。口先だけでなく、身をもって愛と真実を尽くす努力をする(土俵と言うか舞台と言うか)環境が与えられていると受け止めています。 兄弟のために命を捨てるとは、現実には隣人幸福のために努力を尽くすことだと思います。それを実行できる人こそ真に幸福な人生を歩んでいると言えると思います。幸せにしてもらう人も幸せでしょうが、他の人を幸せにできる人の方がさらに優って幸せです。受けるより与える方が幸いなのです。 祝福を祈ります。