今日の聖句9月15日(木)\(^o^)/ 軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。 箴言12:18 私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。 ローマ14:19 ************ 今週のテーマ:優しさ きょうの聖書:マルコ10:46-52 マルコの福音書10章49節〜52節 「さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言った。すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。 「目をあけて」 ここは死海の北にあるエリコという町です。道ばたにすわって物乞いをしていたいたバルテマイという盲人が「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」叫び続けていました。これは、物乞いがお金をせびっているのではないということは明白です。イエス様をメシヤと認めてメシヤのあわれみを求めているのです。 この盲人は、御国の王となるダビデの子に身分も地位も求めず、自分の身体の癒し、身体の必要のみを求め、一方的なあわれみを求めたのでした。そして目が開かれたとき、与えられた視力を「イエスについて行く」という信仰の従いで活用しました。これはイエス様の優しさが真正面に現れた出来事でした。 この奇跡からイエス様は私たちに、この人のように「目が見えるようになることを求めなさい」と教えているのです。自分の目の前にいるイエス様が見えないクリスチャンがなんと多いことでしょう。自分の罪が見えていないクリスチャンも、兄弟姉妹の必要が見えないクリスチャンもいます。 優しさとは、相手の気持ちを汲み取る力と言えるかもしれません。イエス様は私たちの気持ちと私たちの必要を察して、私たちに恵みと憐れみを注いでくださいます。私たちも「主よ。この目をあけていただきたいのです」と祈ろうではありませんか。イエス様が見えるようにしてくださいます。そして、私たちも優しくなっていくことができます。 祝福を祈ります。