今日の聖句9月5日(月)\(^o^)/ 女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。 イザヤ49:15 ですから、私たちは確信をもって言います。「主は私の助け手。私は恐れない。人が私に何ができるだろうか。」 ヘブル13:6 ************* 今週のテーマ:人間関係 きょうの聖書:マタイ5:21-26 マタイの福音書5章23節24節 祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。 「和解」 16節で「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい」と教えられた後、21節から26節までに、前の20節でイエス様が言われた、「あなた方の義」についての詳しい解説が述べられています。その中心点は和解です。「仲直りをしなさい」ということです。和解こそどのよう義にも優る最高の義です。 「食い物の恨みは恐ろしい」とよく言ったり聞いたりしたものですが、言葉や口から受ける心の傷も恐ろしいものです。また、無視されたり、のけ者にされたり、或いは、軽くあしらわれたりするときにも悔しい思いをさせられます。イエス様は礼拝の前に恨まれたり、恨みを抱いているなら先ず仲直りしてから礼拝しなさいと教えています。 私たちは神の国と神の義を求める生活をしていますが、隣人同士の人間関係の中での神の国と神の義は互いに愛し、互いに赦すというところにあります。神の国とは愛の世界であり、神の義とは神様からの赦しであり、私たち相互の間の赦しあいです。クリスチャンの義はノンクリスチャンの義に優っていなければなりません。 一年の終わりに互いに赦しあい、一月の区切りでお互いに赦しあい、一週の終わりにも一日の終わりにも、そして、祈る前に仲直りしておくことです。イエス様は十字架で私たちと神様を和解させてくださいました。イエス様はこの和解のために命を懸けられたのです。お互いに赦しあう以外に私たちの生きる道はありません。 祝福を祈ります。