今日の聖句9月1日(木)\(^o^)/ 私があなたを呼び求めると、あなたは近づき、『恐れるな』と言われました。 哀歌3:57 今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。 ヨハネ16:24 ************ 今週のテーマ:輝く生き方 きょうの聖書:テトス2:11-15 テトスへの手紙2章12節13節14節 私たちが不敬虔とこの世の欲を捨て、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。 「特選の民」 ここにキリストの贖いの意味と目的が記されています。キリストの十字架の死は、ただ単に人の罪を赦すだけでなく、罪の中に沈んでいた人をきよめてご自分の民とするためだったと述べられています。人々に慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福に満ちた望みに満ち、善行生活をさせるためということです。 良いわざ(善行)とは社会通念上の良いわざだけでなく、キリストの福音を宣教するという意味が大きく含まれています。イエス・キリストは私たちを救ってしまいました。そして、イエス・キリストは私たちの心もきよめてしまったのです。これに対しては誰も反論できません。私たちは「アーメン」としか言えません。 救われ、きよめられた人が、自分が受けた恵みの原因であるイエス・キリストの十字架の福音を証言することは、部外者から見ると意味不明の行動に見えるかもしれませんが、御父にとっては愛する御子が命を捨てて成し遂げたことに高い値打ちをつけて紹介するわけですからまことら喜ばしいことなのです。 熱心な選びの民とは、神の選民を連想させますが、実は語源的には風変わりな特殊な人と言う意味を持つ言葉です。迫害されながらもなお慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福に満ちた望みに輝いているのですからユニークなのです。キリストの再臨と私たちの復活、永遠の神の国の完成を待つ信仰は私たちの心にますます大きな希望の光を灯します。 祝福を祈ります。