今日の聖句8月16日(火)\(^o^)/ 私たちは彼らの子孫に隠さず、後の時代に語り告げよう。主への賛美と御力と、主の行われた奇しいわざとを。 詩篇78:4 あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。 マタイ5:15 *************** 今週のテーマ:神殿 きょうの聖書:ルカ2:41-52 ルカの福音書2章49節50節51節 イエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。 「神殿は御父の家」 イエス様は御子である神です。そして私たちの礼拝は御父に向けて捧げられます。ユダヤでは男子は13歳で女子は12歳で成人式を行います。この時イエス様は12歳でしたがほぼ成人と見なされて行動していたようです。聖地旅行をするとしばしば嘆きの壁(現在のユダヤの礼拝場所)の前で成人式が行われているところを見ることができます。 聖家族はナザレの村人と共に巡礼団を組織してエルサレムで行われる過越の祭りに参加していました。巡礼団が帰郷の途にについてもイエス様はユダヤ教の学者たちと神学問答に熱中していました。聖書についてのイエス様の発言は聖書学者たちが舌を巻くほど優れたものだったようです。 この頃のエルサレム神殿は聖書を学ぶ場として用いられていました。パウロはここで最も優れていると認められていたガマリエルという教師から聖書全般を学んだのです。イエス様はそういう教師たちの間にあって堂々の議論をしていたわけです。恐らく旧約聖書で言うメシヤ=キリストの姿や救いの内容について語り合ったのではないかと思います。 教師たちを驚かせたのはイエス様の年若さではなく聖書理解の深さと聖書の知恵の深さであったと思われます。私たちは新約聖書の中からイエス様の聖書解説を学べるわけですから幸せです。聖書は読めば読むほど面白いし、神様のみことばは私たちのいのちの源になるので益々熱心に聖書を読み続けたい詩と思います。 祝福を祈ります。