今日の聖句8月14日(日)\(^o^)/ だれが、われらの神、主のようであろうか。主は高い御位に座し、身を低くして天と地をご覧になる。 詩篇113:5-6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。 ピリピ2:6-7 ************** 今週のテーマ:神殿 きょうの聖書:マルコ11:15-19 マルコの福音書11章15節16節17節 それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」 「宮きよめ」 これは受難週の月曜日のことです。シュロの日曜日に歓声とともに迎えられたイエス様は神殿の境内で「宮きよめ」をしました。イエス様が入る所、そこはどこでもきよめられていきます。神殿に入れば、神殿が、教会に入れば、教会が、家庭に入れば、家庭が、個人の心に入れば人の心がそれぞれきよめられます。 イエス様はきよめ主です。『わたしの家は民の祈りの家と呼ばれる』と言われているように、イエス様は私たちをきよめて、生活全般を祈りに向けさせてくださいます。その祈りは悔い改めの祈りです。神様を無視した教会生活を悔い改め、キリスト中心の信仰生活に導いてくださいます。 強盗の巣と言われたのは、礼拝する人は犠牲にする動物を持ってこず、動物商人から動物を買い、それを祭司にわたします。祭司は動物を神殿の裏へ連れて行き、商人に売却します。結局、動物は犠牲にされず、お金だけが回るだけでした。礼拝がインチキになっていたのです。とんでもない犯罪です。 それを見破られた祭司たちはイエス様を殺さなければならないと考えたわけです。18節で「祭司長、律法学者たちは聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した」というのはそういうことです。神殿は礼拝場所であって、犯罪者の巣窟であってはならないのです。徹底してきよめなければなりませんでした。私たちの中に罪やインチキがあるならイエス様に徹底してきよめて頂かなければなりません。 祝福を祈ります。