今日の聖句8月1日(月)\(^o^)/ 平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼を癒やす。 イザヤ57:19 平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。 ローマ15:33 ************ 今週のテーマ:主の告発 きょうの聖書:アモス8:9-12 アモス書8章10節11節 あなたがたの祭りを喪に変え、あなたがたの歌をすべて哀歌に変える。すべての腰に粗布をまとわせ、頭を剃らせる。その時をひとり子を失ったときの喪のように、その終わりを苦渋の日のようにする。見よ、その時代が来る。─神である主のことば─そのとき、わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことの飢饉である。 「みことばの飢饉」 アモスはユダのテコアと言う村に生まれた農民でした。B.C.780〜B.C.740年頃まで、約40年間北イスラエルのベテルという町で神様の裁きが来ることを預言しました。同時期にはホセヤとヨナが活動していました。ベテルも偶像礼拝の激しい町だったのです。 アモスはみことばに対する飢餓が起こると警告しました。8節では「わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くする」言っています。日本語には「暗愚」という言葉があります。暗愚とは知恵と知識に閉ざされて正しい判断をすることが出ないことです。 アモスは偶像礼拝を続けるイスラエルに、このままでは国全体が暗黒に陥り、滅亡すると言ったのです。アモスは農夫としての経験から飢饉と言う言葉を使って、干ばつによって農作物が枯れてしまうように、イスラエルがみことばの恵みを失うと警告しました。 私たちクリスチャンの場合も、みことばに逆らい続け、身勝手な生活を続けていると、祈ってもみことばを頂くことができなくなります。祈っても神様の愛を感じられなくなるのです。みことばをいのちの糧にして生きている人は、みことばを実践している人なのです。みことばを失うと私たちの心は枯れてしまいます。 祝福を祈ります。