今日の聖句7月29日 (金)\(^o^)/ 正しい人の進む道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。 箴言4:18 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。 1ヨハネ3:2 ************ 今週のテーマ:祈り きょうの聖書:詩篇61:1-8 詩篇61篇1節〜4節 神よ私の叫びを聞き私の祈りに耳を傾けてください。私の心が衰え果てるとき私は地の果てからあなたを呼び求めます。どうか及びがたいほど高い岩の上に私を導いてください。あなたは私の避け所敵に対して強いやぐら。私はあなたの幕屋にいつまでも住み御翼の陰に身を避けます。 「主は頼れるお方」 ダビデ王の三男であるアブシャロムが謀反を起こし、ダビデはエルサレムを捨ててヨルダン川の東に非難しました。その時の想いを書いたのがこの詩篇61篇です。エルサレムの神殿から遠く離れていることがダビデには自分が神様から遠く切り離されているという感覚だったのです。 それでダビデは神様との交わりを求める祈りを捧げました。「どうか及びがたいほど高い岩の上に私を導いてください」とは、きよく気高い神様に同座する資格はありませんが、せめて絆だけは保たせてくださいという気持ちの表れです。岩は砂漠での炎熱からの保護という意味もあります。影に隠してくださいということです。 息子に裏切られ命からがら荒野をさまようダビデの心の叫びびです。ダビデには「神にすがる」という逃げ場がありました。親にすがるか金にすがるが普通ですがダビデには息子に裏切られてもなお頼りになる神がありました。ダビデには「神は裏切らない」という確信があったのです。 神は真実で誠実であるとはパウロの言葉ですが。私たちの信仰も誠実な神に対する信仰であるのです。だまし、騙され、裏切り裏切られの世界で唯一誠実が証されているのは天地の創造者である神様お一方のみです。このお方はご自分の生命を潔く捨てることによってご自身の誠実を証明されています。十字架が私たちの信仰のシンボルということです。主は頼れるお方です。 祝福を祈ります。