今日の聖句7月21日(木)\(^o^)/ わたしが、あなたの行ったすべてのことについてあなたを赦すとき、あなたはそれらを思い出して恥を見、もう自分の恥辱のために口を開くことはない。 エゼキエル16:63 神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。 2コリント7:10 ************ 今週のテーマ:主の創造 きょうの聖書:エレミヤ33:1-9 エレミヤ書33章 地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。 『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』 「主による赦罪」 きょうの聖書では1節から3節で神様が呼び求める者には秘密にされていることを告げることと、4節から9節では捕え移された先のバビロンからエルサレムへの帰還が予告されています。神様は地を造った主であること、それを堅く立てられた主であることが明らかにされています。 神様は全能であり、「わたしが事を行えば、だれがそれを戻せるだろうか」(イザヤ43:13)と宣言できる大能の主です。どれほど困難であり妨げがあっもご自分の約束は必ず成就しなければやまない真実で誠実な神様です。主は私たちの心の内に住み、私たちに志を与えて立ち上がらせてくださる神様です。 2節のみことばは文語聖書では「ことを行う主、ことを成してこれを遂げる主」と訳されています。その神様がエレミヤを通して滅亡寸前のユダヤ人にも、また現代の私たちにも「わたしを世べ」と命じています。主の名を呼ぶものは誰でも救われるのです。「主よ」と叫び、「イエス様」と叫べと言うのです。 秘密にされ、理解を超えた大いなることは「赦罪」です。罪を赦すということは人類の思考の限度を超えた大きなことです。まず第一にこの時のユダヤ人にも、現代人にも自分が罪びとであることが理解できませんし、その自分の罪が赦されることがどういうことなのかもわからないからです。しかし、主を呼べはそれを教えてもらえるということです。主による赦罪です。 祝福を祈ります。