今日の聖句7月9日(土)\(^o^)/ 主が荒れ果てた地を通らされたときも、彼らは渇くことがなかった。主は彼らのために岩から水を流れ出させ、岩を裂いて水をほとばしり出させられた。 イザヤ48:21 祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 ヨハネ7:37 ************ 今週のテーマ:聖なる民 きょうの聖書:2列王記22:8-13 列王記第二22章12節13節 王は祭司ヒルキヤ、シャファンの子アヒカム、ミカヤの子アクボル、書記シャファン、王の家来アサヤに次のように命じた。「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主を求めよ。私たちの先祖たちがこの書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについて記されているとおりに行わなかったために、私たちに向かって燃え上がった主の憤りが激しいからだ。」 「聖書による信仰復興」 この時の王はヒゼキヤの曽孫であるヨシヤです。父はアモンで不信仰な人でしたが、ヨシヤは敬虔な人でした。8歳で王位についたヨシヤは26歳の時に神殿の補修を命じました。補修工事中に律法の書(モーセ五書)が発見され大祭司、書記官の手を経て王に届けられて朗読されました。ユダ王国では長く聖書が読まれてなかったのです。 神の宮、礼拝の建物を大切にするひとの信仰は確実です。神殿修理という喜ばしい奉仕をしたヨシヤに神様から聖書が届きました。この聖書に書かれたイスラエルに対する神様の命令と約束を読んでヨシヤは愕然として祭司、書記、家来に悔い改めと祈祷を命じました。ヨシヤは16歳で悔い改めて信仰を刷新していましたが、聖書を読まない罪は重かったのです。 人が霊的いのちを持っているか否かは聖書を読む姿勢で明らかになります。いのちのある人は聖書を読んで神様の慰めと励ましを受けますが、いのちのない人は聖書を読んでも何も感じません。神様はヨシヤに聖書を返し、ヨシヤと王家の信仰を復興させました。 私たちの手元に聖書が与えられていることは素晴らしいことです。毎日聖書を読んで神様の愛の注ぎを受けられることは何にも優って大事なことです。確かに聖書摩言葉は私たちの心の糧であり、神様から与えられるいのちの力です。自宅で家族とともに聖書を読み、教会で信仰の友とともに聖書を読めることは何より幸いなことです。 祝福を祈ります。