今日の聖句7月2日(土)\(^o^)/ 私が暁の翼を駆って海の果てに住んでもそこでもあなたの御手が私を導きあなたの右の手が私を捕らえます。 詩篇139:9-10 わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。 マタイ28:20 ************* 今週のテーマ:助け合い きょうの聖書:使徒6:1-7 使徒の働き6章1節〜4節 彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。 「奉仕上の助け合い」 エルサレムの教会で信者数が増え、ギリシヤ語を使う人たちからヘブル語を使う人たちに対して苦情が寄せられました。その苦情とはギリシヤ語を使う寡婦たちへの食料の配給が滞るようになったということでした。使徒たちは弟子団の中から信仰に優れた人を選んで給食係に任命しました。 キリスト教会の奉仕はすべて礼拝が軸です。説教はもちろん、奏楽や賛美、受付や会堂掃除、キッチン当番も買い物も、会計係も役員会もすべては礼拝のためです。給食係は食べ物を平等に配り、和解を促すという仕事を与えられました。それは教会員全員がイエス・キリストへの礼拝を捧げられるためです。 教会での奉仕が礼拝の妨げになってはなりません。しかし時々教会内部で奉仕が原因となるトラブルが発生することがあります。使徒6章の場合は使徒たちが信仰に優れた人たちを給食係に選んで、礼拝を維持した例として学べます。ギリシヤ語を使う人たちとヘブル語を使う人たちの間に反目があっては礼拝が成立しません。 お互いにお互いの不足を補い合うということで礼拝が成立します。私たちは少なからず欠点を持ちつつ生きています。欠点とは不足している部分です。それを批判したり攻撃するのではなく補足する役目の人が必要なのです。当然補足する人にも欠点はありますので、相互支援が不可欠なのです。最終的にはイエス様がすべて補填してくれます。 祝福を祈ります。