今日の聖句6月19日(日)\(^o^)/ 気前よく施して、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんで、かえって乏しくなる者がある。 箴言11:24 主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだ。 使徒20:35 ************* 今週のテーマ:神への問いかけ きょうの聖書:詩篇42:1-11 詩篇42篇1節2節3節 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。昼も夜も私の涙が私の食べ物でした。「おまえの神はどこにいるのか」と人が絶えず私に言う間。 「謀反の中で」 この詩篇42篇はアブシャロムが父王ダビデに対して謀反を起こし、ダビデははだし同然でエルサレムを脱出していました。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐ」その谷川とは水の流れていない川です。雨季にだけ水が流れ、雨が上がれは荒地同然になる川です。神様から見捨てられたような状況の中での祈りです。 ヨルダン川東岸に非難した時の気持ちを随行していたコラ人に歌わせたものです。逃避行の中でも敵軍の誹謗中傷にさらされ、心身ともに疲れたダビデでしたが神様に救いを求める祈りは途切れませんでした。歴史の中で息子に裏切られてあえなく最期を遂げた武将は数々の例がありますが、ダビデにもそのような苦難があったのです。 心が沈んでうなだれ、神の都エルサレムを遠方から仰いで憐れみと救いを求めています。その祈りの中で「わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め」(5節)と自分で自分を励ましています。その励ましも神様を見上げているからこそのものです。 ダビデの祈りは、絶望の言葉で始まりますが、祈りの終わりは神様への賛美になっています。この詩の場合も最後の言葉は、「神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を」(11節)です。ダビデには自分は弱いが神は強いという信仰があります。パウロも「私が弱いにこそ私は強いからです」(2コリント12:10)と証しています。 祝福を祈ります。