今日の聖句6月18日(土)\(^o^)/ まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ飢えたたましいを良いもので満たされた。 詩篇107:9 私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。 ピリピ4:19 ************ 今週のテーマ:安息とヨベル きょうの聖書:民数記35:9-15 民数記35章11節12節 あなたがたは町々を定めて、自分たちのために逃れの町とし、誤って人を打ち殺してしまった殺人者がそこに逃れることができるようにしなければならない。この町々は、復讐する者からあなたがたが逃れる場所となる。殺人者が、さばきのために会衆の前に立たないうちに死ぬことのないようにするためである。 「逃れの町」 神様はモーセを通じて、イスラエルが約束の国カナンへ入ったら、過失で人を殺した人がのがれるための町を、ヨルダン川の東西にそれぞれ三つずつ合わせて六つ作るように命じました。それは正式な裁判を受ける前に復讐する者から逃れさせるためだとしています。この逃れの町も安息の地です。 その逃れの町はイスラエル人でも異邦人でも誰でも逃げ込むことができるとも書かれています。殺意を持たず、間違って事故で他人を傷つけたり殺してしまった人が被害者側からの復讐で殺されることがあってはならないというのです。聖書は復讐を禁じています。被害なり迷惑なりを受けた場合は神様に処理していただかなくてはなりません。 逃れの町には神様の赦しが現れています。私たちは大なり小なり赦されなければ生きていけない存在です。安息日、安息年、ヨベルそして逃れの町と様々な神様の私たちへの赦しの方針が示されてきました。私たちクリスチャンは神様が私たちを赦して和解しようとしていてくださるということに気づかされたのです。 赦すということはとても大きな問題です。神様が私たちを赦して和解を成立させるためには御子イエス・キリストを犠牲にしなければならなかったほどです。私たちもキリストから赦されたように赦しあいながら生きていきます。そのためには私たちにも決断が必要です。それは「わたしはキリストを信じる」と言う決断です。 祝福を祈ります。